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第9話 タイ進出企業成功例(2)

2015年01月10日 バンコク便り

「タイ・ドリームの先駆者」

私が、今回紹介する企業の代表との接点があったのは1987年から1998年くらいまでのことである。当初、代表がタイに乗り込み事業立ち上げ準備を開始されたのが1987年、先ず最初に行ったことは日本語を話す可愛らしい感じの秘書さんを雇用したことだった。当初は秘書さんがいなくては右も左もわからず、常に連れ立っていらした。
私自身、まだ27歳の駆け出しであって人物の見立てなどおこがましいこと、所属していた会社と代表の会社との取引があったことからお目にかかり、ただ優しい方だなといった程度の認識でしかなかった。

当時ビデオデッキというものが当地や周辺諸国でも凄い勢いで普及し始め、この企業が扱っていた精密プレス部品の生産高もうなぎ上りとなり、確か1994年のことであったと記憶しているが、操業6~7年でタイの株式市場での上場を成し遂げてしまったのである。

その後も、私の所属会社が何か新事業を立ち上げる度に営業がてらご相談に伺うと、常に二つ返事で最大限のご助力をいただく様になった。正に「他人に優しく自分に厳しい」を地で行く方、接点のある方々は「タイ・ドリームの先頭を行く、第一級の人物」と口々に評していたものだ。その方針も一般進出企業とは隔絶しており、「工業団地に入っては労務その他色々な点で周囲の影響を受けざるを得ない為、うちはいつも団地外の独立した土地を購入し拠点としている」という言葉も印象に残っている。また工場周辺地域への心遣いも疎かにせず、地元学校への寄付や援助も代表が率先して行っていた。

私が独立し事務所を構えてからもお付き合いは続き、上記の秘書さんは堂々とした社長室付秘書に成長されていた。すでにタイ国内に3拠点の工場を立ち上げられており、一般人からはとても気軽に近づける存在ではなくなっていたのだが、それまでのご縁もあり、有り難いことに私はちょくちょくお目にかかっていた。

その後は、段々に実権を息子さんや後進の方に譲られていったため、直接のお付き合いは無くなってしまったものの、当の企業の更なる躍進は留まる事を知らない様だ。
元々日本においては歴史のある部品メーカー、というよりも製作所という規模であったと伺っているが、技術の蓄積は相当なものであったのだろう。この国でブレイクしてからは家電、車に関わる多くの精密部品に手を広げられ、現在ではタイに4拠点、他に米国を含む9か国への進出を果たされている。
代表が今もお元気であることを祈ってやまない。