2022年05月31日
久しぶりに“ビデオニュース・ドットコム”からの引用である。今回は5金シリーズ(第5金曜の配信は時事問題から離れた話題でYoutube上に一般公開する)のテーマなので、会員以外の方もフルで視聴できる。
ゲストは独立言語学者、つまり研究機関に属さない学識者である伊藤雄馬氏、当テーマとも通ずる意味で、大学や研究所という組織から離脱された変わり種の研究者だ。
「森のムラブリ」とは世界最後の、と言っても良いだろうタイとラオスに跨った山岳地にひっそりと暮らす狩猟採集民である。タイ側ではすでに国家の政策により定住化した約400名が、ラオスの山中では古来の風習そのままに数十名の小集団、計数百名が他の部族との接触を避け遊動生活をしている。伊藤氏は彼らと生活を共にし言語研究や生活形態を観察した見地から、人間の原初的な社会や思考について考察した結果として、今回この番組で紹介しているドキュメンタリー映画「森のムラブリ」を完成させ、今後日本各地で順次公開する。我々の側から見る彼らの思考特性は、先ずその生活形態から根差す、時間に対する感覚で、簡単に言えば彼らは過去や未来に思いを及ぼすことが無い、というものである。過去に何が起きたから、あるいは将来起こりうる物事について考える契機もなく、その言語が表現するものは今現在眼前にあるもの、行っていることに限られる。当然のことながら食事さえも何時になったから、ではなくお腹が空いたから何か食物を探すという至ってシンプルな思考だけなのである。したがってその言語では、完了と近未来の表現が同一なのだという。近未来に備える意識が生ずる筈もなく、所有観念に囚われたりもしない。映画の中でも、他人がやってきてそこにある物を、ただ「ここにはある」「自分には無い」という感覚で持ち去るのが普通らしい。人間関係も過去に何があったから恨みや何かの感情を抱く、ということが無い。自殺は、定住化が進んだころからタイ側のムラブリに発生し始めた。彼らのこれまでの経験にはもちろん人殺しや盗みが無かった筈は無く、悪事についての認識はあるものの、結果的には包摂性の高い社会が維持されている。
これを未開の一言で片付けるかどうかはもちろん個人の感覚次第なのだが、法や制度の奴隷と化した現代社会の病弊を認識し直す手がかりとなり得るのでは無いだろうか。かつて私自身も、伊藤氏の様に掘り下げて研究することとは全く無縁ではあったものの、北タイやミャンマー方面の山中で山岳民族の生活に立ち入ったり、バンコクで働く山岳民族出身の青年と知り合い、度々考えさせられることがあった。日本で上映されるこの作品は必ず鑑賞しようと思う。