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第75話 仏教的諦観なのか

2020年08月03日 バンコク便り

事務所のご近所では、営業再開がほぼ100%認められたもののすでに運転資金が賄えなかったのだろう、閉業してしまったセブンイレブン、レストラン、薬局その他小売店多数や大規模なホテル、旅行会社がある。和食レストランでも、この地域はビジネス層と観光客のマーケットが半々であって、外国人観光客が完全に途絶えており、またここで勤務する我々にしても、所謂ステイホームに慣れてしまい、マスクをせずに他人と接する外食の機会は数を減らしている。であるから当然失業者、生活破綻してしまう人も多い筈だ。

また営業を再開した店でも、やむを得ず大幅な値上げに踏み切った店もあり、また客の回転を促そうとする試みも行われている。彼らの置かれた現状を考えれば全く責めることはできない。まあ日本については危機的状況下でも従順に整然と生活する人達ということで元々有名なのだが、かの国では少ないながら公的補助がある訳だ。しかしここタイでは、要請では無く営業禁止がいとも容易く執行され、それでいて給付金や補助金などは無きに等しい環境の中で、多くの者は大人しく地方へ帰省し食を繋ぎ、他の者はじっと耐えている感がある。もちろん全体としての食料自給率の強みや物価の安さが幸いしているのだろうが、それにしても淡々とし過ぎてはいないだろうか?デモも散発しているが、それは生活に余裕のある学生たちによる政治的主義主張の対立によるものだ。

騒乱を望む訳ではもちろん無いのだが、この静謐さは何だろうかと考えてしまう。元より仏教にはそのベースとしての諦観思想があるので、苦しい時も祈りで自らを癒す術があるのだろうが、しかしより大きいのはタンブン(徳を積む)という考えによる親戚や近隣の助け合いということがあるだろう。他人を助けるということで気持ちが良いという人は多く、また自らの来世の為の行為とされている。

ここのところ個人的なことで、激しい欲の突っ張り合いを目の当たりにし、すっかり辟易させられたことから、おそらく今現在は逃避機制的にこんな想像をたくましくしているのだろうと思う。お付き合いいただき恐縮の限り。