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第74話 タイ社会の柔軟さ剛健さ(3)

2020年07月31日 バンコク便り

この国の人々の感覚の中では、どうも夢や霊や祟りなどと現実を結び付けてものを考える傾向がある様だ。もちろん他の文化圏から来た私自身に影響を及ぼすことは無いので、すべて伝え聞く話でしかない。かつて仕事絡みで通っていたチャンタブリ(タイ東部、カンボジア方面にあるかつてサファイア産地として賑わった街)では、古くから有名なホテルで必ずお化けが出るとか、アパートの部屋に帰ったらお坊さんが大勢並んでいたとか、少年が立っていたとかの話はどこにでも転がっていた。ゴールドラッシュならぬサファイアラッシュの歴史を思い、また田舎の街に釣り合わない規模の歓楽街を目にすれば実に納得のいく話でもあった。

バンコクの知人からも、親しくしていた人が急死した数か月後、自宅の部屋に亡くなった当人がいたとか、相場からして不自然に安価な不動産物件を見学したら、そこのトイレが異常な臭気で、悪寒を感じながら帰宅した夜、立て続けに悪夢を見たと聞いたことがある。そしてそれらの結末は大抵、お寺でタンブン(徳を積む、つまり花などを供えお参りをすること)をしたら解決、というのが相場である。

本気でインタビューを行ったことも調査をしたことも無いのでこの程度の与太話しかできないのだが、タイ仏教関連の文献においても修行僧どうしの会話の中で、修行生活と夢に関する話題が実に密に結びついているものだと感じたという記述があった。

そもそも考えるに、霊や夢に関することは仏教以前のアニミズムである精霊信仰に類するものではないのか?工場やオフィス・ビル、レストランなどの大きな建物の入り口わきには必ずこの“ピー、英語ではSpilitual House”という祠様のものを建て、お供え物と礼拝を欠かさない。今現在でもこの習慣が定着しており、それは悪霊を除け良い精霊を呼ぶという様な意味だということ。それが後の外来宗教である仏教との習合により、悪霊に憑かれてしまったら仏教にも縋るという、この国らしい一種合理的な習慣となった。

この様な面からも、信仰のもたらす心の平安や、自己に対する他者視点の維持等、無宗教の私には羨ましく思える。