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第73話 タイ社会の柔軟さ剛健さ(2)

2020年06月30日 バンコク便り

この社会では「可哀そう」という哀れみの情を表すことが美徳とされている様だ。物乞いに施しを与える人たちも多い。これがタイ的なというかムラ社会的な、狭い地域共同体の基礎にもつながっているだろう。一方、これまた憎まれ口になるが努力を怠っている人たちにも皆優しい。もし何かのご縁で地方出身の友人でもできたならば、一度その実家にお邪魔するのも良い経験になろう。その家にはかなり高い確率で、特に男性のケースが多いが、全くの健康体でありながらただ無為徒食の人がいる。日本のニートとは全く存在意義が違う、他人や社会とのコミュニケーションには全く問題の無い、簡単に言えばただの怠け者である。決して経済的に何も生み出さない人たちを否定する、いわゆる優性思想の話ではない。家族が厳しく対処すれば十分に就労機会のありそうな人材を甘やかしているという意味である。こういうケースでも何となく家族全体が、可哀そう的な態度で支えている訳なのだ。まあ大前提として亜熱帯の豊かな自然があり、農家であれば一人の食い扶持くらい、ということでもある。しかし余計なことをまた付け加えさせていただくなら、こういう当事者が食すのは何も米や野菜だけでないのは当然だが、困ったことに酒好きの場合が多い。

話を都会に戻せば、社内での横領や盗難事件は後を絶たない。かつては集金した金銭を持ってそのままドロンとか、姉妹が起業まもなく、それを援助するため会社の事務用品を何度も持ち出していた、また会社の消耗品を余計に購入しそれを実家の雑貨店で販売していたとか、涙ぐましい家族愛というのか、かなり原始的な動機の盗難が実際に多かった。当然のことながらこれらは簡単に発覚した事例である。

しかしこの様な事件が発覚した時には、我々の常識で云えば「厳罰を持って対処すべき」だがこのやり方を間違えると例の「可哀そう」が周囲の総意となって逆に非難の憂き目にさらされたりもする。全く自らが外国人であると思い知らされるケースだ。こんなことで彼らの強さを味わったりもするのである。