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第72話 タイ社会の柔軟さ剛健さ(1)

2020年05月31日 バンコク便り

常々思うことだが、我々の住むこの国のどこか妙に安らぎを覚えてしまう感覚はどの様に生じるのだろう。一般的には同じ仏教徒だからとか、微笑みの国とか、温厚な国民性だとか言われるが、それは殆どまやかしのように聞こえる。

仏教で云えば、制度の基礎として機能する上座部仏教と、信仰心の薄い現代日本の仏教ではまったく存在意義を異にする。またあの微笑みが単なる礼儀作法であることは、ここに住んでみればすぐに理解できる。温厚を否定するものでは無いがこれも利害関係の確執が全く無い場合に限る。

社会の基盤を成すものは王室を頂点とした緩やかな階級だろう。近年では、特にタクシン政権下で大学の門戸を大幅に拡大してからは見え難くなっているかも知れないが、先ず子供が小学校入学の時点で公立学校を選択すると、将来ホワイトカラーの仲間入りをするのはかなり難しくなる。つまり、教育費のかかる私立の学校に入れられるかどうかが大きな分かれ道となってしまう。最も社会全体が経済的に豊かになればたたき上げの商売人となり資産を蓄えるケースは増えているだろう。そうなれば金銭で影響力は行使できるだろうが、それで周囲が階級移動を認めるわけではない。この様なケースは別として、例えば銀行の窓口で何か手続を行う場合、マネージャークラスのスタッフなら公表されている必要書類ですぐに対応してくれる。しかし同じ手続を行うにも、失礼ながら学歴の低い人が行えば、銀行員はまるで子供を諭すような態度であれこれと追加書類などを要求し、何か主張をしても取り合って貰えない。いかにもブルーカラーという風采であれば、通帳をカウンターに投げつけたりもする。それは申請者が、受付の新米銀行員より高給取りであっても変わらない。この様に階級とは“本人の能力、努力によって移動することができない”ものである。

しかしこの様な大前提の上に立つ人たちは、その分をわきまえている限り一定の心の安定が得られるであろうし、また不自由を感じるときにはその下の者を思え、ということになる。また上の階級にいる者は、基本何かトラブルがあっても下の者をあまり責めない。これを我々アウトカーストの人間が見ると、タイでは犯罪を犯した者勝ち、と感じてしまうことがよくある。

これを正しいとも間違いだとも論ずる権利は元より無く、一旦受け入れてしまうと妙な居心地の良さを覚えてしまうのは単なる傲りだろうか。