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第61話 ウズベキスタン・レポート

2019年06月19日 バンコク便り

4月は第一週の末と中旬のタイ正月と2回の連休があるので、繁忙期だが失礼してその間を休み、10日間程ウズベキスタンを旅している。中央アジアにはずっと興味を持ちながらあまり情報がなく、初めて足を踏み入れた。文献を探しても何百年も前の探検記や、遡って玄奘三蔵の大唐西域記以外に一般書籍はほぼ無い模様。唯一「ウズベキスタンを知るための60章」が最近までの報告を編集したもので、これが非常に役立った。国土は日本の1.2倍、人口は3,200万、しかも1,000万人以上が海外へ出稼ぎに出ているという。出稼ぎと聞けば単純労働者だが、実際には高学歴者が米国等で就職する例も多い。こちらは頭脳流出と呼ぶべきだろう。緯度は日本と同じだが内陸性砂漠気候。しかも二重内陸国と聞けば貧しい国を想像するが、実は資源国として潤っている。金、天然ガス、最近では油田が発見され、平地が広いことから綿花、小麦の大量輸出国である。ただ上記の通り労働力が多くないことと、帝国ロシアの半植民地からソ連に併合された歴史があり、ソ連の崩壊により再度独立したのは約30年前(1991)という若い国家なので工業化の面では遅れを取っている。言語はウズベキスタン語(トルコ系)だが、文字はかつて影響の大きかったイランのアラビア文字が使用され、ロシア傘下でキリル文字に置き換えられ、現在はアルファベット表記にほぼ移行している。

内陸ということで水の確保には苦心している。ソ連時代には北部に大規模な綿花のコルフォーズが開発され、水源のアラル海はかつて68,000㎢、世界第4位の面積を持った内陸湖であったが、現在は4か所に分かれた小さな湖となり、干上がった部分は砂漠化した。そもそもこの国の主な水源は南側に位置するタジキスタンの山地からの雪解け水である。そこでこの二国間の綱引きがずっと続いているという。かつてウズベキスタン側の山の斜面を利用した高低差70メートル以上のダムが建設され、水力発電が開始された。余剰電力はタジキスタンに売られたが、やがて財政のひっ迫からかその電気代が支払われなくなった。そこでウズベキスタンは送電を止めてしまった。するとその後に(これはここ数年の話)タジキスタン側でダムの建設が開始され、ウズベキスタンに流れ込む水量が減少した、などという経緯がある。永遠の水げんかと云えるだろう。

歴史を遡れば、カザフスタン、タジキスタン、キルギスやトルクメニスタンと共に西トルキスタンとして、特にシルクロードの一拠点であったサマルカンドを中心に栄えたが、13世紀になると周辺地域と共にチンギスハンの遠征により国土の拠点はすべて壊滅した。

14世紀になると、ウズベキスタン南部シャフリサーブスで生を受けたアミール・ティムールにより打ち立てられたティムール朝が国家としてのウズベキスタンを形づくった。ティムールこそが国父であり、現在みられる遺跡のすべては、家族、子孫と部下を含めたティムール関連のものだと言っても良いくらいだ。