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第58話 タイ山岳民族とのご縁

2019年03月03日 バンコク便り

タイの北部や西部には先住民とも言える山岳民族が暮らしている。この山岳地帯は中国、ミャンマー、ラオス、ベトナム、インドの各国国境地域に当たり、彼らは元々国境という概念も持たず移住生活をしていた。ミャンマーではかつて英国からの独立後かなりの長期間にわたりカレン族やモン族が実質的な自治政府や軍隊を備え、独立を保っており、その頃(私が記憶しているのは1980年代)ミャンマー政府が掌握している国土は領土の6割程度と報道されていたものだ。民族を現在のタイ国内人口の順に挙げると、カレン40万人、モン15万人、ラフ10万人、アカ5万人、ヤオ4万人、リス3万人である。

先ず最初に私がその様な地域を訪れたのは1984年7月、タイ北部の都市チェンマイからのトレッキング・ツアーだった。確か徒歩や筏で山中を移動しカレンの村に3泊するルートだ。しかしその頃の私はタイや東南アジアの初心者で、雨季の山岳地帯がどういう状態なのかについて何の知識もなく、またツアーを催行していたのもチェンマイの英語が達者な若い仲間というだけの個人請負で、どんなトラブルがあっても「後は野となれ山となれ」という感覚の人たちの集まりである。高度も1,000m程度で気温が高かったから良いものの参加者全員が短パンとTシャツの様な軽装で歩き始め、1日目は無事に宿泊できたが、2日目は土砂降りで筏下りをするという川はかなり増水し流れが速かった。しかもその筏も地元の人が竹を切り出し竹の紐で括っただけのいい加減なもので、参加者は先頭の筏を操るガイドの真似をして自分でコントロールしろというのである。しかし参加者も若気の至りで怖いもの知らず。言われる通り素直に従ったが、筏は急流に煽られとても素人が竹一本の櫂で操れる状況ではない。10分もしないうちに岩に衝突し筏は大破した。確か全員(10名程とガイド3名)が4隻に分かれて下っていたかと記憶しているが、後続の筏も次々と転覆か大破してしまい、メンバーは何とか泳いで岸に上がった。私の荷物はガイドがしっかりと厚手のポリ袋でパックしてくれていたので被害は無かったが、参加者の中にはすべての着替え、貴重品やカメラを水没させた者もあった。全員が無時溺れずに上陸したものの、当然予定のルートからは外れており、と云うより道が何処にあるかも分からない山中にいた訳である。たまたまなのかガイドの一人が鉈を所持しており、誰かが現在地や方向を認識していたのかどうかも怪しいものだが、参加者は兎に角従うしかない。草木を掻き分け掻き分け、所持していた少ない食物を分け合いながら進んだ。一般的に言えば遭難者であったことは間違いない。ネットも携帯も存在しなかった頃の話である。

道なき道を進むこと8時間、とうに日も暮れ真っ暗な中、何とか宿泊できるという民家に辿り着き食事もできた。私は前述の通り乾いた着替えもあり不自由はなかったが、そうでないメンバーもおり、またフレンチの女性は足に軽傷を負った様だった。米国やドイツから来た人が相当ガイドを責める場面もあったが、私はいつもの通り結果オーライと思い、むしろ面白い経験をしたもんだと納得していた。

その後この地に赴任してからも、日本の中学校の依頼で西部山岳民族の村にある学校と交流活動の交渉を行ったり、北部の村へコーヒー豆の買い付けに行くビジネスマンに同行したり、何度か山に入った経験もあるのだが、その様な記憶も薄れてきた今頃になってふと思い返してみた次第である。

(バンコク事務所:小川)