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第53話 タイ人のタイ人的こころ

2018年10月15日 バンコク便り

本日は商務省登記局の順番待ちで缶詰状態にあり、思い浮かぶままに当地の人たちについて書き綴ってみることにする。

初めてこの地を訪れたころは、只々皆優しく人当たりの良いところばかりの印象であった。もちろん素朴=気が利かないというのも道理であるから、業務の進展も全くのところ不合理なことばかりだったと記憶している。まだ20代後半の血気盛んな私は、あまりに物事が進まないことに腹を立て、高血圧で頭がクラクラしたこともあった。今現在は年齢なりに再び高血圧気味である。

もちろんインフラの未整備も大きかった。コピー機は青写真、FAXもまだ存在せず周辺国との連絡はTELEX(若い世代の方は絶対にご存知の無い代物)を使用していた。基本的な連絡手段は電話や封書。最もこれが1987年ころの話で、その約7~8年後に国を開いたカンボジアのプノンペンでは電話さえも通じず、いきなり訪問という手段しかなかったのだから、バンコクは進んでいたのだともいえる。その代わりプノンペンでは、省庁の長官クラスでもいきなり訪ねて対面ができるという逆のメリットがあった。プノンペンのタイ大使館で、ビザの発給期日について交渉してみたらいきなり大使室に通され直接お願いすることになり、あっさり即日発給してくれたのにはこちらが驚いた。

話が逸れたが、その様な軟な環境での業務は大変なこともあったけれど若さに任せ楽しんでいたと言えるだろう。大雨が降れば多くのスタッフの自宅は洪水で出勤して来ない。電話連絡をせよと強制したところで自宅に電話がありません、または回線のどこかが水に漬かり、電話が繋がっても雑音で会話ができない。悠長に構える以外どうにもならないわけである。

話はいきなり現在に飛ぶが、何が変わって何が変わらないのかについて考えてみたい。

発展の過程で一時固定電話回線が絶対的に不足し、国営の通信会社職員が回線の権利を横流し、新聞広告を通じ何倍もの高値で販売していた時期もある。購入するこちらは不安なので、何とか売り手と相対し何らかの受取書を得ようと指定場所に出向いたが、先方は言を左右にして顔を合わせることは叶わなかった。それでも完全な売り手市場であるから結局は言いなりになるしかないのだ。しかしグレーやブラックな状況でも金銭さえ支払えば約束を違えることのないのがこの国の良いところだといえる。その後携帯やネットが出現し別世界のごとく通信事情が良くなった。経済が拡大し所得が増え、人手不足となれば労働条件の要求も厳しくなるのは当然のことで、職場の管理業務もいろいろ気を遣うことの多い昨今だが、こちらが胸襟を開けば最善を尽くそうとしてくれる姿勢は、一貫して変わらない。結果的に私が半生以上の期間ここにいられるのは、この国民性といっていい「基本的に」従順でまた頼りがいのある、私の思う、昔も今も変わらないタイ的心のおかげであろうと考えている。

一方、官の側といえばこれまた昔も今も変わらない非効率、民の都合は無視され、当たり前の手続き仕事に膨大な時間を費やさなければならない。優秀な官僚たちが率いたこの政府は東南アジアで随一、外国勢力に屈しない国家を守り通した。その副産物と言ってしまって良いものか、周辺国が経験させられた行政システムの強制的な近代化を行わぬまま現在に至っているのである。もちろん外国人に蹂躙された歴史を持たぬことは国民にとって大変幸福なことなのだ。ということでまとまりの無い話で恐縮ではあるが、午前9時から待機し今現在は午後2時、たった今手続きは終了した様である。ここでの私のお役目はただ「法人代表者本人の出頭」でありました。