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第43話 タイの文学

2017年11月11日 バンコク便り

タイの文学について、私の知っているとても狭い範囲の話を勝手に綴りたい。私がタイに出入りし始め、タイ語や文学に大きな興味を抱いていた当時、その折も折、学生援護会の紹介で1か月ほどアルバイトをさせていただいたのが出版社「勁草社」であった。業務内容は返品書籍の整理という簡単なものであったが、様々なジャンルの書籍に触れ合うだけでも毎日が楽しかったと記憶している。その出版社の一角には当時の社主が社会貢献として行っていた「井村文化事業社」があり、この部門では主に東南アジアの小説の日本語版を発行していたのである。

記憶は曖昧だが、恐らく社内割引か何かを利用し、タイやマレーシア、インドネシアの小説を購入していたのだと思う。1980年代前半のことであるから、タイや東南アジアに対する一般日本人の認識は「国名くらいは知っている、熱帯にある遅れた国々」程度であったし、後から考えても日系企業の進出としては草創期だ。その頃に読んだタイの小説と言えば、首相経験のある貴族の一員ククリット・プラモート氏の「王朝四代記」、カムプーン・ブンタヴィー氏の「東北タイの子(デク・イサーン)」(1982年映画化)、カムマーン・コンカイ氏の「田舎の教師(クルー・バンノーク)」(1978年、2010年に映画化)であった。やはり個人的には映画化された2作品が強く印象に残っている。どちらもタイでは貧しいと言われている東北タイ(イサーン)を舞台にしている。この地方や人々はラオスの文化(かつてのランサーン王国)をバックグラウンドに持っており、言葉や食事も他の地方とかなり違っている。現在でも一面、都会人からは〝田舎者の代表格″の様に扱われており、逆に面積も大きく人口も多いため、選挙では一番影響力を持つ大票田なのだ。

東北タイの子では、毎日の生活が困難で、主人公は年端のいかない身でありながら、街頭での物売りや、魚釣りで必死に家族の生活を支える姿や、その生活風景を生き生きと描いており、東南アジア文学賞も受賞している。特によく覚えているのは、路上での物売りにも元締がいて、仕入れた商品を丸1日売って歩いても、あまりの薄利で手元にはほとんど残らないという、流通の末端で行われている過酷な搾取の構造だった。

一方「田舎の教師」では、やはり東北タイの、正義感の強い青年小学校教師が、村の顔役の不正、つまり公有林での木材の伐採、横流しを暴き、堂々と対決するストーリーを描いている。因みに現在でも、タイ国内の山地や河川はすべて王室財産局の所有となっている。

どちらもタイの文化背景を理解するには良い題材だと思う。